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ズバリ!未来予想!10年後、環境ビジネスはこうなる~前編~

川野輝之
代表取締役社長

2019年07月11日

静脈産業の可能性静脈産業を変える

今日はとんでもなく難しいお題をいただきました。

いやー、これは難しいでしょ!と思いながらも、良い機会なので勝手に予想して好き勝手に書かせていただくことにしました。

どうしても業界用語が多くなりがちなので、なるべく我々の業界外の方にもわかりやすい表現でなるべく業界用語少なめでいきたいと思います。

過去 ~この業界に入ってから今まで~

未来を予想するにはまずは過去を振り返る必要がある思い、業界の移り代わりに合わせて僕自身の振り返りについて紹介していきたいと思います。

このテーマだと今回も長文になってしまう可能性大有りですのでお時間がある方はお付き合いください。

2001年~(アルバイト時代)/リサイクル法すら浸透していなかった・・・。 

(自身)

僕がこの業界に入ったのはもうかれこれ18年前。

大好きなスケートボードに明け暮れる日々の中、最短の時間で一番給与の高いところを探し、

たどり着いたのが中古の家電製品や農業機械などをコンテナに積み込むアルバイトでした。

正直言うと業務内容には全く興味がなく、単なるお金を稼ぐ手段として、ある意味スケボーをするために働いている時期でした。

(業界)

当時、日本は家電リサイクル法※という新しい法律が出来て丸二年が経つ頃でした。

今までは粗大ごみなどや不燃ごみとして処理が出来ていたものが、

急に消費者(つまり我々)の費用負担で家電量販店などが回収・運搬を行い、

製造メーカーが責任もって処分(リサイクル)を行うことが義務付けられ、家電製品に関する処理のルールが統一されました。

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しかし、今まで費用の負担なく処理できたものが急に処理費用が発生するようになったことで、

費用負担を逃れるため勝手にゴミ捨て場に放置したり、酷いケースだと山、川、海などに不法投棄する人があとを絶たず大きな社会問題となってしまったのです。

まさに大量生産大量消費のひずみが表面的になった、そんな時代だったと感じています。

※家電リサイクル法・・・テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコンなどの家電4品目(テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、衣類乾燥機で今は計5品目)について、廃棄物の減量と資源の有効利用を目的とした法律。

2004年~2010年(就職・創業)/国際リユース・リサイクルの拡大、不適正な国際資源循環

(自身)

4年間の地獄の?修業期間を経て2007年に独立することを決意した訳ですが、

経営の『け』の字も知らないうえ、社会人経験の乏しい僕が成功するわけもなく3年半の極貧生活が始まります。

しかもちょうど結婚、出産と人生における重要なイベントが重なり、

当時はもうがむしゃらにやるしかない!と、年間360日以上、1日12時間以上働き続けました。

ただ、元々体を動かすのはアルバイト時代~前職でみっちり体に叩き込まれていたので不思議とこれがきつくなかったんですよね(笑)

もちろん今は絶対に無理です。

(業界)

そのころ盛んに行われるようになったのが、海外へ向けての家電や機械などの中古品や、金属やプラスチックなどの資源の輸出でした。

日本から大量の家電製品などの中古品や、金属スクラップ、プラスチックなどの資源が海外に送られました。

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もちろん、送ったその先で適正にリユース・リサイクルされいているものもありましたが、

大半は本来日本で適正に処分されるべきだったものだったゴミ同然のものを、

環境のことなど一切気にせず発展途上国に送り付け、現地で甚大な環境負荷を起こしていたのです。

特殊金属などの資源の高騰や、国内での処分費用高騰など、あらゆる背景が重なり中古品や資源を海外へ輸出する業界は拡大しました。

実は当社もその中の一社です。

お金を稼ぐことに必死でその先が見えていなかったのが正直なところです。

ようやくまともにお金が稼げるようになると自分たちがモノを送っているその先を訪問するようになりました。

その中で中国のグイユという村で目にした風景を今でも覚えています。

あまりにも劣悪な労働環境に加え、村のあちこちに見える膨大なごみの山。

それは単なる環境破壊でした。

これは僕の脳裏に焼き付き、中国向けの輸出を一切ストップすることになりました。

また、この出来事が現在の経営理念が生まれるきっかけの一つとなりました。

2010年~2019年(会社が生まれた)規制強化~地球温暖化などによる環境意識の高まり

(自身)

今振り返ると、本当の意味で企業として社会に生を受けたのはこのころかもしれません。

なんの目標もなく、ただ食べていくために一生懸命働いてきて、右往左往しながらたどり着いたのは、

『一緒に働く家族の幸せと、本当に世の中に役立つ環境ビジネスを追及する』ということでした。

中国で見たあの風景に、ほんの一部だとしても、そこに携わってしまった罪悪感。

そして、世のため人のためという曾祖母の教え、『公明正大であれ!』という父の教え。

そんな諸々が重なって生まれたのがこの理念です。

決して人に誇れるような生き方をしてきていない僕なので、昔の友人からすると気がふれたのか宗教家になったのかと思われるかもしれませんが(笑)

人生をかけて追及するテーマが決まったようなそんな約10年だったと感じています。

事業においては、自分たちが輸出したその後までちゃんと気に掛けることを意識し、

国際リユースを適正に行うためのガイドラインや、排出から販売までの流れを追跡するトレーサビリティシステムの開発などを行ってきました。

(業界)

中国での環境負荷が問題視されるようになったのは、光化学スモッグ(PM2.5)の問題や、地球温暖化、異常気象、それによる自然災害などなど様々な背景があると思います。

メディアの力も一助となったのは間違いありません。

中国の映画監督ワン・チウリャン 氏が2016年に発表したドキュメンタリー『PLASTIC CHINA』は世界中で見る人に衝撃を与えたのではないかと思います。

まだ見てない方はぜひ(予告編)→https://youtu.be/_PNNC0mD2vM

世界的な環境意識の高まりの影響もあり、日本においても資源の取り扱いに関する法律の改正、リユース品の輸出に関するガイドラインの制定などが行われました。

また、業界に激震が走った2017年12月に発表された中国側での輸入の際の規制強化及び輸入ライセンスの制限。

その結果、1980年ごろから始まったとされている資源の国際循環、その歴史は幕を閉じようとしています。

この10年を振り返ると規制強化の時代だったと言えると思います。

後編では環境ビジネスの現在の状況、そして本題の「10年後はどうなる?」について書いていきます。
次回もぜひ読んでみてください!

この記事を書いたライター

川野輝之

株式会社ecommit
代表取締役社長

川野輝之

1984年大阪府生まれ。中高6年間スケートボードに明け暮れ、一時は某スポーツ店のチームライダーとして活動するも、耳の病気を発症し引退。高校卒業後は建設機械や家電の輸出業者に就職し、4年間の修業期間を経て22歳の年にecommitを創業。現在は代表取締役として経営をリードしつつ新規事業開発チームを直轄。日置市の海沿いに住み、釣りやキャンプなどの鹿児島暮らしを楽しんでいる。

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